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体 験 談

群馬県 三十代女性 うつ病の場合

 空を見上げる幸せ
 八年間にも及んだうつ病,とりわけ症状がほとんど出なくなってからもずっと続いていた服薬を完全に断ち切ることができたのは時間湯のおかげでした。
 とても長い話になりますが,同じ病に苦しみ,時間湯を求めて草津へ来る人々の励みになればと,私がどうしてこの病への泥沼に沈んでいくことになったのか,そしていつ終わるともわからない,一生薬とつきあい続けてゆくくらいの気持ちで,と言われた状態から脱することができたのか,そのことをお話してゆきたいと思います。

 始まりは結婚してまだ一年にもならない頃でした。
 「何かのどにひっかかりを感じるの,おかしいの」と言って主人に病院に連れていってもらいました。ファイバースコープで検査をしてもらっても何も異常は見つかりません。セカンドオピニオンという言葉が流行り始めた頃で,別の医師ならのどがおかしい原因を見つけてくれるかも,といくつかの病院をはしごしました。
 その当時は本当にいろいろな不調が次から次へと出ていました。胃が痛い,生理が重い,ひどい肩こりがとれない,頭痛がどんどん頻繁になる,といつも何かしらの不調で病院めぐりをしていました。たくさんの診察カードで財布が重くふくらむほどでした。
 頭痛は高校生の頃から時々生じるようになっていましたが,大学在学中の頃には日常生活や学業にも影響が出るほど回数が多く,また痛みも強くなっていました。生理痛もひどかったので大学の保健管理センターで,医師から「一ヶ月に二,三日鎮痛剤を飲むくらいは体に悪い影響はないのだから,そんなに痛いのなら薬を飲んだ方が良いよ」と言われたのをきっかけに,市販の鎮痛剤を飲むようになっていきました。頭痛は偏頭痛と筋緊張性頭痛が入り交じったものでした。頭痛については本当に悩まされており,あちこちの病院へ行っていました。そしてボルタレンやポンタールなどの強い鎮痛剤,偏頭痛治療薬等を処方されていました。アメリカに留学していた間は,あちらのドラッグストアで非常に強力な鎮痛剤を買い求め,「これならよく効く」と常用していました。今ではその頃の自分のあまりの無知に恥ずかしくなりますが,鎮痛剤の常用が体にどのような影響を及ぼすのか全く考えもしませんでした。強い薬に変えると始めは非常によく効きます。偏頭痛がひどい時は,体の向きを変えると嘔吐してしまうくらい頭はガンガンし強い吐き気を伴うので,その苦しい状態から解放されるのですから,よく効く薬はその時の私には問題を即座に解決してくれるありがたいものだったのです。ただ服用回数を重ねるとだんだん効きめがにぶくなってきます。また頭痛の回数も増えていくのです。二〜三日に一度くらいは偏頭痛薬や鎮痛剤を服用していました。もうこの頃には薬物性頭痛をも引き起こしていたのだと思います。
 どなたに教えてもらったのか忘れましたが,私のような症状だと心療内科を受診してみるのがよいのでは,と勧めて下さる方がいました。今でこそ気軽に外来受診をする人が増えた精神科ですが,その頃はまだうつ病に対する社会的認知がようやく広がりはじめたばかりで精神科よりも心療内科の方が,その名前からして受診しやすいと言えました。そして,この時から私の精神科系の薬を長い間使い続ける生活が始まったのです。
 主治医は週一回五十分のカウンセリングを行い,アモバンという睡眠薬に,ドクマチールという抗精神薬を処方しました。ドグマチールについては「食欲が出る」「乳房が大きくなる」という副作用があるという説明を受けました。これがのちに,うつ状態で体は重くて寝てばかりなのに三食ばりばり食べ,コンビニで買いあさったデザートを五つも六つも一度に食べ,体重はプラス二十キロという肥満に結びついていく恐ろしい薬だったのです。しかし,服薬開始当初はご飯がおいしく食べられるのならちょっとぐらい太っても後で戻せばいいや,くらいの気持ちでいました。睡眠薬はこの時初めて使いましたが,明け方までずっと眠れず,またようやく寝入っても深く眠れていなかった私には,この薬を飲んで十五分後にはぱたっと意識がとぎれるかのように眠れた時のうれしさは今でも忘れられません。

 ただ,この心療内科に通っていても症状はよくなるどころかむしろ進行していきました。一日中家から一歩も出られないだけでなく,ベッドからトイレに行くことさえ,体が重くて動けず,漬け物石を五つも六つもしょいこんでいるようでした。  かかりつけになっていた調剤薬局の方の話では,薬をできるだけ使わないで治療をする良い先生とのことでしたが,カウンセリング時のコミュニケーション方法や主治医の話す内容が自分のニーズを満たすものではありませんでしたので,思い切って精神科の病院に変えることにしました。

 新しい病院に移る頃には,一日中ベッドにいる生活となっていました。自分自身が研究室に行けないのはもちろん,大学で仕事をしている主人に私の世話までもがのしかかってきていました。食事などはコンビニで買ってきたものですませることが多く,部屋の中は散らかり放題。本当に悲しい状況でした。トイレに行くときは背中におぶってもらい,夜,私が寝られなければ主人も寝られない状態。そして自殺願望も強くなってきていて,私がいつ,何をするか気が気ではない生活で,主人は本当に大変だったと思います。
 病院では,うつ病診断テストを受け,「まちがいなく立派な大うつ病」と言われました。そして抗うつ剤を使った治療が始まりました。抗うつ剤というのは,症状の重さに合わせて効果が出る閾値を超える量でないと効かないそうです。SSRIという新薬も出た頃でしたが,私のような重いうつ症状にはむしろ古典的な抗うつ剤の方が効く可能性が高いとのことで,三環系のトリプタノールを一日二百ミリグラムというマックスの処方量で出ました。これに,精神安定剤としてデパス,睡眠薬としてロヒプノール,そして以前からのドグマチールが処方されました。
 私は抗精神薬をすべて否定するつもりはありません。どうしてもそれらの薬が必要な時はあり,また投与するにあたって症状改善に最低限必要な量というものもあるでしょう。事実,一つめの病院では少量のドグマチールは全く私に効かず,どんどん症状が悪化していったわけですから。ただ,大うつ病とは言え,デパスなど新しい薬を加えて,本当にあそこまで必要だったのかどうか疑問ですが…。「う?ん,まだ暗い気分? じゃあこの薬を試してみようか。これは効くよお?。飲むと気分がぱ?っと晴れるよお?」と笑いながら薬を処方していた医師の顔が浮かびます。後に,インターネットの掲示板で,ある患者がその医師の処方で,まるでゲームのように様々な抗精神薬を試して,体に表れた反応を報告し,医師とやりとりしているのを見て,とても複雑な気分になりました。

 主人の仕事の関係で群馬に引っ越すことになり,病院も転院することになりました。母の知人から医学部の同級生だったという医師を「精神科医は相性の問題も大きいから,まずは会ってみて」と紹介していただきました。結果的には,とても素晴らしい医師で,必要な時には十分に長い時間を割いて話を聞いてくれる上,最初の医師のように「妻=家事をこなして家庭生活をする」というステレオタイプなカウンセリングをすることもありませんでしたので,この医師には完治するまでお世話になりました。薬が体内でどのように作用するのかといった生理学的なことや,薬の副作用,各種心理療法の効果,最近の精神病の傾向や分類,新しいタイプの病気のことなど,専門書や医学雑誌を貸して下さることもありました。私のような患者には,自分の病気のことをむしろよく知ってどうすれば治るのかを自分で考えて実践させてゆくのがよいとお考えのようでした。服薬についても,薬の知識を十分に備えているし,もう長いこと使っていて体の状態もわかっているだろうから,自分で増減してもよいと言われました。
 ただ抗精神薬というのは,急にやめたり量を大幅に減らしたりすることはできません。かえって症状が悪化してしまいます。そのため転院前に飲んでいた薬の種類と量はそっくりそのまま引き継がれました。その後新薬のSNRIであるトレドミンが出たので,少しずつトリプタノールをトレドミンに置き換えることになりましたが。
 また病が長引くにつれて,主人に対する過度な依存も出てきました。主人が少しの間でもいないと不安で不安でたまらなくなり,身体症状,精神症状が悪化します。主人がたびたび職場での仕事を中断して帰ってこなければならなくなるということは群馬に引っ越す以前から生じていましたが,これは私のためにならないし,このような生活では主人もまたつぶれてしまうことが予想されました。医師のアドバイスもあり,私は主人や私の実家で離れて生活する,といったことが約一年続きました。
 このような時期を経ながら少しずつ症状は改善し,服薬も初期の半分に減りましたが,そこから先がなかなか進めませんでした。薬を少し減らすとすぐに頭痛が起きたり,体が重くなったりなどの症状が出ました。
 理解のある上司に恵まれ,東京にある大学の研究所に常勤教員として職を得ることもできましたが,駅から徒歩五,六分の道のりがとてつもなく遠く感じられ,職場に着いた時には一日のエネルギーのすべてを使い果たしたかのような状態で,とても仕事どころではありませんでした。認知機能や記憶力がとても低下していて,資料を読んでも字面を追うだけで内容が頭に入ってきませんし,簡単なことが全く覚えられず,計算は繰り上がりがあるだけで,もう暗算ができずパニックになっていました。会議等で自分が発言したことですら,言い終わった時には何を言ったのかわからなくなっていました。上司や同僚らに迷惑をかけ続けるばかりで,二年間の勤務の後,完全に病気を治すために一旦退職しました。

 仕事をやめて休養に入ってから二年後,こうしたひどい症状は少しずつ減って,普通の生活が送れるようになっていきましたが,薬はやはり減量できず,睡眠薬としてロヒプノール,デパス,抗うつ剤としてトレドミンを一日百ミリグラムは相変わらず続いていました。
 また,鎮痛剤から始まった長年の服薬の影響では,と思えるような西洋医学では治療困難な症状が出てくるようになりました。例えば高血圧。少し太り気味ではありましたが,まだ高血圧が出るような年齢ではなく,内科医も首をかしげていました。「若いので高血圧の薬を飲まず,少し様子を見てみましょう。体重を二キロ落とすのを目標にしてください」と言われました。何回か診察を重ねるうちに上が百五十を越えると「高血圧の薬を飲んでみては」と言われましたが,もしこれが長年の服薬の影響であるならば高血圧の薬を飲むことは薬漬けの体になることを意味していると思い,「もう少し様子を見させてください」と断りました。その他にも気になることとして脈がいつも九十五くらいと多いことや,体温が三十六度あるかないかの状態であることも気になっていました。しかし,これらは西洋医学において病とはされません。内科医にこれらのことを訴えても問題にされないし,これらの状態を改善させる薬もないことはわかっていました。
 鎮痛剤や抗精神薬の副作用として,高血圧や頻脈,低体温といったことは書かれていません。けれども,私はやはり薬の影響もあるのではないかと思うのです。私の知っている方で,うつ病を患い長期間服薬をしていて,突然心不全で亡くなった方が二人もいます。自分に次々と起こる体のサインを思うと,身近な人が二人も心不全で亡くなったことをただの偶然とは思えないのです。
 また,精神症状の面でも,医師から,もしかして境界性人格障害(Borderline Personality Disorder=BPD)になっているかも,と指摘されました。BPDとは思春期や成人期に生じる人格障害であり,薬物治療の効果は低いと言われています。症状としては,不安定な自己-他者のイメージ,感情・思考制御の障害,衝動的な自己破壊行為などが特徴です。医師からは,もともとBPDになる要因を持っていて,今それが起きているのかもしれないし,薬の影響かもしれない,どちらかはわからないと言われました。BPDについて書いた本を渡され,それを読んで自分の状態を客観的に捉える認知療法が行われました。

 全く減らすことのできていない服薬量,それどころか長期間の服薬が影響しているのではないかと思えるような新たな症状の出現に,なんとかしなくては,と考えるようになりました。
 なんとかして薬を完全に絶ち,元気になる方法はないかと模索していた時,草津の千代の湯前で時間湯の体験入湯の案内があるのを見つけました。時間湯という湯治方法があることは知っていたのですが,その数年前にインターネットで調べた時には,まだオフィシャルサイトもなく,中沢ヴィレッジのエステコースの中で体験できるということぐらいしかわかりませんでした。エステコースではそう何回も連続して入湯することはできませんし,あきらめてそれっきりになっていたのです。  スキーに来草した折,千代の湯で体験入湯をして,その後湯長さんに湯治のことをご相談することができました。湯長さんはやわらかい表情でこれまでの病気のことを聞いて下さり,湯治のアドバイスをしてくださいました。高崎在住で草津までは車で一時間半ほど,週末に通いで来られるかな,と思っておりましたが,服薬量からして一ヶ月くらい集中的に入湯する方がよいとのことでした。
 翌年度から仕事に復帰する見通しが立っていましたので,その前にと,二〇〇七年三月初めより三週間の予定で湯治に入りました。基本的な日常生活は送れる程度まで回復してくる過程でバランスの良い食事をきちんと食べることや規則正しい生活リズムがとても大切であると感じておりましたので,しんどい時があってもきちんとご飯を食べられるようにと食事付の宿に決めました。  お湯の熱さには特に問題なく我慢できましたが,始めの数日は汗がほとんどと言ってもよいくらい出ませんでした。特に首から上は汗が出ず,体内にこもった熱が頭にたまるような感じで,ひどい頭痛が続きました。二日目には三回目の入湯の後,頭痛と吐き気で動けなくなり車で宿まで送ってもらう始末でした。
 抗うつ剤はすぐにやめることをしてはならないので,まずやめるのに問題のない下剤から減量を開始しました。下剤は抗うつ剤の副作用として便秘になるために処方されていたものでした。便が出ないと体調がとても悪くなることがわかっていましたので,八年間一日も欠かさず飲んでいた下剤をやめることには大きな不安がつきまといました。しかし翌日,少量ながらもすっと出た時には,「下剤はもういらないんだ」と飛び上がりたいほど感激しました。
 五日目の二回目の入湯で,まるでシャンパンのコルク栓を勢いよく抜いたかのように,頭部からどっと汗がふきだしました。同時に頭や肩の上に「漬け物石が載っかっている」といつも表現してほどの重苦しさがとれて,羽が生えたように体が軽く感じられました。
 何年かぶりに,広がる青空を心ゆくまで見上げられた時のうれしさと感動は今でも忘れられません。頭や首が痛くて重いことがたびたびあり,痛くないときでも上を見上げると首を圧迫して頭痛や首痛が起きるので,空を見上げることができなかったのです。
 どっと汗が出た日から抗うつ剤や抗不安剤,睡眠薬の減量を少しずつ段階的に始めました。
 精神科の主治医にも,電話で相談しながら減らしていきましたが,基本的には「体の調子を見ながら自分の判断で減らしていってかまわないよ」と言っていただいておりました。
 一錠減らすと,だいたい二?三日不調が続きました。お決まりの頭痛の他に,いてもたってもいられないような焦燥感やイライラ感など,まるで薬が体から追い出されるのに抵抗して最後の一暴れをしているかのようでした。抗うつ剤のトレドミンなどより,抗不安剤のデパスや睡眠剤のロヒプノールなどの方が反動が大きく出たように思います。  だいたい五日ほどあけて一錠ずつ減らしていましたので,湯治中は体調のよくない時がほとんどでした。具合が悪くてしんどいのばかりが続くのはきついなあと少し気分が低下していた時に,町立図書館で「暴走するクスリ? 抗うつ剤の善意と陰謀」(チャールズ・メダワー/アニータ・ハードン著,吉田篤夫/浜六郎/別府宏國訳 NPO法人医薬ビジランスセンター発行)という本に出会いました。この本を読んで,薬を減らす時に起きる様々な症状は,うつ病の再発などではなく離脱症状であるとの確信が持てました。これまで数年間にわたって薬の減量がなかなか進まなかったのも,この減量後に生じる不調が理由でした。けれど時間湯で体内にたまっていた毒素をどんどん排出してゆくのだから離脱症状が治まるまでちょっと我慢すれば良いのだとわかったのです。
 また,同書には,必要量以上の様々な薬物を長期にわたって使用することの危険性が述べられていました。同じ著者の別の本で鎮痛剤の使用が体に悪影響を及ぼすことも知りました。発病前,頭痛のために鎮痛剤を多用していた頃のことが今更ながらに悔やまれました。
 順調に少しずつ薬を減らしていき,三週間の湯治期間の中で完全に薬物を絶つことができました。
 湯治期間中,調子の良い時には,町内をできるだけ歩いたりして,体力をつけるようにしました。湯治に来てすぐの頃は入湯後,ホテル七星の前の坂をおばあさんのように息をあえがせながらゆっくりゆっくりしか上れなかったのですが,坂道の多い草津の町を歩き回っているうちに,自然に足が丈夫になっていきました。
 最後の日,帰宅後の入浴の仕方や過ごし方の注意などを湯長さんから教えていただき草津をあとにしました。自宅に戻ってからもしばらくは体がだるいようなしんどさがありましたが,一ヶ月ほど経つと,もう何年も忘れていた,体の中から生命があふれ出てくるような元気な状態へと変化してゆきました。
 仕事においても,頭は冴え,新しい研究手法の勉強に積極的に取り組むことができました。関係者からも高い評価を受ける研究成果が出せるようになって,今では非常に充実した日々を過ごしております。繰り上がりのある計算の暗算ができずパニックになっていたり,勤務のシフトを組むことさえが重労働に思えるほど頭が回らなかったりした病気の時の状態は何だったのかと思うほどです。もう自分は仕事においても人生においてもだめかもしれないと希望をなくしていた時もありましたが,見事によみがえることができました。
 精神科の主治医も八年間の闘病を経て,その片鱗も見あたらないほど回復した私に驚き,喜んでくれました。BPD(境界性人格障害)かもしれないと言われた行動や言動もあとかたもなく消え,あれは私の場合,薬物が原因で生じていたのだろうと言われました。
 
 長い長い遠回りの人生でしたが,病み,そして時間湯湯治を経て,自分の生き方を見直すことができました。
 時間湯は私から病を奇跡的に取り除いてくれましたが,自分自身の生き方や生活を変えなければ,この良い状態は続いていかないことも強く感じていました。
 再び病気にならないために,日常の生活で気をつけていることがいくつかあります。
 仕事については,自分の持っている力も八〇?九〇パーセントで取り組み,体力的にも精神的にも多少の余裕を常に残しておくようにしています。
 以前は夢中になれば眠くならないからと明け方まで起きてパソコンに向かっているようなこともありましたが,今は夜に極力パソコンをしないようにしています。私はパソコンのモニターやテレビの強い光を見ると,夜,寝つきが悪くなってしまうためです。
 うつ病になる人は概して病前性格に共通性が見られるといいます。几帳面でまじめ,完璧主義,周囲の人の自分に対する評価を非常に気にし,誰にでも好かれるようにふるまう,などです。そして,自分は組織の中で,とても重要な役割を担っていて自分が欠けるとその組織はダメになってしまうと考える人が多いと言います。私も確かに以前はそうでした。今は自分なんかすごくもないし,自分がいなくなっても組織は普通に動いていく,と気楽に考えて仕事をしています。そのように考えていても,勉強や新しいことへの取り組みをしないのではなく,良い仕事ができるのですね。
 日常生活では,食事と運動に気をつけています。二十代の頃は何を食べていようと無頓着でしたし暴飲暴食もよくやっておりましたが,三十代も半ばを越すと,食生活が体調や健康に直接影響してきます。食事はできるだけ家で作って食べるようにしています。外で食べたり,コンビニ等で買って食べたりするとどうしてもカロリーオーバーになりやすい上,様々な添加物を摂取してしまいやすくなるからです。家で作る時もできるだけ添加物の多い加工品は使わないようにしています。家で作るといっても,例えば市販の固形カレールーを使ったカレーライス,洗浄野菜に市販のドレッシングをかけたサラダ,といった食事だと,それだけで二〇?三〇種類の合成添加物をとっているのだそうです!
 体重は少し太り気味で,主人ともども余計なお肉がついていましたので,漢方医のアドバイスを取り入れつつ,夜の炭水化物抜き,週二?三回の一時間ウォーキング,ジム通い,体重記録など,いくつかのダイエット方法を組み合わせて,一年かけ,主人は一〇キロ,私は十五キロの減量に成功しました。あれから一年半ほどたちますが,適正体重をなんとか維持しています。血圧も正常範囲になり,脈も六五程度になりました。
 病気になりにくい体になるためには運動もとても大切です。
 時間湯湯治を終えてすぐの頃は確かに体調は悪くないのですが,ちょっと運動しただけでもものすごく疲労してしまい,長年の闘病生活と運動不足で基礎体力がかなり落ちていることは明らかでした。ある程度体力がないとすぐに疲れて頭もうまく回りませんし,良い仕事ができないと思いました。
 ウォーキングは始めた時,二人とも二〇分でもう足がだるくなってへとへとという情けない状態でしたが,少しずつ距離を伸ばしていくようにしました。ジムに通ってエアロビクスやアクアビクス,水泳等もやってみたりしました。また,山登りも時々楽しんでいます。あまり本格的なものではなく低山ハイクが中心ですが,これはとても良い運動になりますし,自然いっぱいの中で四季折々の変化を楽しみ,気分がリフレッシュされます。最近はなかなかまとまった運動ができないでいるのですが,筋肉量をあまり落とさないようにと,通勤では一つ前の駅で降りて歩く,買い物はいつも車でなく時々徒歩や自転車にする,などの工夫をしています。
 といっても,そんなにストイックな生活をしているわけではありません。時間がないときにはコンビニでおにぎり等を買って食べることもありますし,ファストフードなんかもたまには食べます。運動もしばらく何にもしてないなあなんてことはよくあります。絶対にこうしなきゃ,というのではなく,健康でいられることを最上の幸せの一つと考え,毎日元気に仕事をして過ごせるように,体にためになることをしよう,という考え方です。
病気まっただ中の時,仕事をさせていただいたものの,何も出来ないばかりか,周囲に迷惑をかけるばかりだったことをふりかえれば,社会人として仕事をするには体調管理も当然の義務だと今はよくわかります。
 八年間のうつ病生活,そして草津での湯治生活は,病を癒すだけでなく,そんな自分を大きく成長させてくれました。時間湯は草津の宝だと思います。湯長さん,副湯長さん,本当にありがとうございました。
 湯治を行っている皆様も時間湯で体と心を癒し,人生の再出発への道が開かれますことを心よりお祈りいたしております。  私の長い体験談を最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

 


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